の考えの筋道を有りのままに記述した随筆のようなものには、往々科学者にも素人《しろうと》にもおもしろくまた有益なものが少なくない。チンダルのアルプス紀行とか、あまり有名ではないが隠れた科学者文学者バーベリオンの日記とかいうものがそうである。日本人のものでは長岡《ながおか》博士の「田園|銷夏《しょうか》漫録」とか岡田《おかだ》博士の「測候|瑣談《さだん》」とか、藤原《ふじわら》博士の「雲をつかむ話」や「気象と人生」や、最近に現われた大河内《おおこうち》博士の「陶片《とうへん》」とか、それからこれはまだ一部しか見ていないが入沢《いりさわ》医学博士の近刊随筆集など、いずれも科学者でなければ書けなくて、そうして世人を啓発しその生活の上に何かしら新しい光明を投げるようなものを多分に含んでいる。それから、自分の知っている狭い範囲内でも、まだ世に知られない立派な科学者随筆家は決して少数ではないのである。しかし現代ではまだ、学者で新聞雑誌にものを書くことが悪い意味でのいわゆるジャーナリズムの一部であるように考える理由なき誤解があるのと、また一方では新聞雑誌の経営者と一般読者とが、そういうものの真価値を充
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