なくも理論上には解式は決定されるのであって、学者はただ数学という器械の取っ手をぐるりと回すだけのことである。これは理想的の場合であるが、実際には方程式の解が困難である場合に、いろいろな仮定、その場合に「もっともらしい」と考えられる仮定のもとに、いろいろの「省略」を行なう。すなわち一つの選択過程が行なわれる。この選択を決定する標準はもはや必ずしも普遍的単義的なものではなくて、学者の学的常識や内察や勘や、ともかくも厳密な意味では科学的でない因子の総合作用によってはじめて成立するものである。もちろんその省略が妥当であったかどうかを、最後にもう一度吟味しある程度まで実証的に判定し得られる場合もあるが、必ずしもそうでない場合がはなはだ多いのである。
この自然現象の表示としての微分方程式の本質とその役目とをこういうふうに考えてみた後に、翻って文学の世界に眼を転じて、何かしらこれに似たものはないかと考えてみると、そこにいろいろな漠然《ばくぜん》とした類推の幻影のようなものが眼前に揺曳《ようえい》するように感ぜられるのである。
もしも、人間の思惟《しい》の方則とでも名づけらるべきものがあるとすれば
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