て来る。そうして、その不備の点を補うためにさらに補助的研究を遂行しなければならないようになることもしばしばあるのである。それからまた、頭の中で考えただけでは充分につじつまが合ったつもりでいた推論などが、歴然と目の前の文章となって客観されてみると存外疑わしいものに見えて来て、もう一ぺん初めからよく考え直してみなければならないようなことになる。そういう場合も決してまれではないのである。それで自分の書いたものを、改めて自分が読者の立場になって批判し、読者の起こしうべきあらゆる疑問を予想してこれに答えなければならないのである。そういう吟味が充分に行き届いた論文であれば、それを読む同学の読者は、それを読むことによって作者の経験したことをみずから経験し、作者とともに推理し、共に疑問し、共に解釈し、そうして最後に結論するものがちょうど作者の結論と一致する時に、読者は作者のその著によって発表せんとした内容の真実性とその帰結の正確性とを承認するのである。すなわちその論文は記録となると同時に予言となるのである。
 実際、たとえばすぐれた物理学者が、ある与えられた研究題目に対して独創的な実験的方法を画策して
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