み》の能楽に関する著書など、いわゆる文章としてはずいぶん奇妙なものであるが、しかしまた実に天下一品の名文だと思うのである。
 それで、考え方によっては科学というものは結局言葉であり文章である。文章の拙劣な科学的名著というのは意味をなさないただの言葉であるとも言われよう。
 若い学生などからよく、どうしたら文章がうまくなれるか、という質問を受けることがある。そういう場合に、自分はいつも以上のような答えをするのである。何度繰り返して読んでみても、何を言うつもりなのかほとんどわからないような論文中の一節があれば、それは実はやはり書いた人にもよくわかっていない、条理混雑した欠陥の所在を標示するのが通例である。これと反対に、読んでおのずから胸の透くような箇所があれば、それはきっと著者のほんとうに骨髄に徹するように会得したことをなんの苦もなく書き流したところなのである。
 この所説もはなはだ半面的な管見をやや誇張したようなきらいはあろうが、おのずから多少の真を含むかと思うのである。

     結語

 科学と文学という題のもとに考察さるべき項目はなお多数であろうが、まずこのへんで擱筆《かくひつ》して余は他の機会に譲ることとする。
 緒論で断わってあるとおり、以上の所説は、特殊な歴史と環境とをもった一私人の一私見に過ぎないのであって、おそらく普遍性の少ない僻説《へきせつ》であろうと思われる。しかし、そういう僻説を少しも修飾することなしにそのままに記録するということが、かえって賢明なる本講座の読者にとってはまた特殊の興味があるかと思うので、なんら他を顧慮することなくして、年来の所見をきわめて露骨に、しかも無秩序に羅列《られつ》したまでである。従って往々はなはだしく手前勝手な我田引水と思われそうな所説のあることは、自分でも認められ、そうしてはなはだ苦々《にがにが》しくも、おこがましくも感ずるのであるが、それをあえて修飾することなくそのままに投げ出して一つの「実験ノート」として読者の俎上《そじょう》に供する次第である。
[#地から3字上げ](昭和八年九月、世界文学講座)



底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
   1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年6月13日第65刷発行
※底本の誤記等を確認するにあたり、「寺田寅彦全集」(岩波書店)を参照しました。
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2000年10月3日公開
2003年10月30日修正
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