私は子供の時から人並以上の臆病者であったらしい。しかし私はこの臆病者であったということを今では別に恥辱だとは思っていない。むしろかえってそうであったことが私には幸運であったと思っている。
子供の時分にこの臆病な私の胆玉《きもたま》を脅かしたものの一つは雷鳴であった。郷里が山国で夏中は雷雨が非常に頻繁であり、またその音響も東京などで近頃聞くのとは比較にならぬほど猛烈なものであったような気がする。これは単に心理的にそう思われたばかりでなく実際物理的にもそうであろうと思われる。そうしてその恐ろしさは単に落雷が危険であるからという功利的な理由からよりも、むしろ超自然的な威力が空一面に暴れ廻っているように感じられるためであった。中学校、高等学校で電気の学問を教わっても、この子供の頭に滲み込んだ恐ろしさはそう容易《たやす》くは抜け切らなかった。しかし後に自分で電気に関する色々な「実験」を体験するようになってからは、こういう超自然的な感じはいつの間にか綺麗《きれい》に消えてしまった。もっとも一つは年を取って神経が鈍くなったせいもあるかもしれないが、一つには自分が昔おどかされた雷の兄弟分と友達になっ
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