・何度にしてくれるのである。もちろんこれは湯沸《ゆわか》しの装置がうまく出来ているから、そういう温度の調節が誰にでも容易に出来るのであって、われわれの家の原始的な風呂桶などとは訳がちがうことは確かである。しかしそういう装置を使っているだけに、摂氏一度だけの高低が人間の感覚にいかなる程度の差違となって表われるかということが、かなり明瞭に意識されているようであった。
今から数年前三越かどこかで、風呂の湯の温度を見るための寒暖計を見付けて買って来て、宅の女中にその使用法を授けてみたのであるが、これは結局失敗に終った。先ず初めは、浴槽の水を掻き廻さないで、水面二、三寸のところへ寒暖計の球をさしこんで、所定の温度に達した頃に報知して来るのだから、かき廻さないで飛び込めば上の方は適温だが、底の方はまだ水である。掻き交ぜれば、ぬるくてふるえ上がってしまう。またよくかき廻して丁度になっていても、一方で燃料が唸《うな》って燃え上がっているのでは這入《はい》っているうちにすぐに猛烈に熱くなって来るから工合が悪い。これらも少し科学的に頭を使ってやれば、燃料が燃え切った頃にだいたい丁度になるようにするくらい
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