年八月『東京朝日新聞』)

      四 験潮旅行

 明治三十七年の夏休みに陸中|釜石《かまいし》附近の港湾の潮汐《ちょうせき》を調べに行ったときの話である。塩釜《しおがま》から小さな汽船に乗って美しい女学生の一行と乗合せたが、土用波にひどく揺られてへとへとに酔ってしまって、仙台で買って来たチョコレートをすっかり吐いてしまった。釜石の港へはいると、何とも知れない悪臭が港内の空気に滲み渡っていて、浜辺に近づくほどそれが猛烈になる。夥《おびただ》しいかもめの群れが渦巻いている。いかの大漁があったのが販路を失って浜で腐ったのであった。上陸後半日もすると、われわれ一行の鼻の神経は悪臭に対して無感覚となって、うまく飯が食えるようになった。
 千歳《せんざい》という岬端《こうたん》の村で半日くらい観測した時は、土地の豪家で昼食を食わしてもらった。生来見たことのない不気味な怪物のなますを御馳走になった。それがホヤであった。海へはいって泳いでみたら、恐ろしく冷たいので、ふるえ上がってしまった。そこから吉浜《よしはま》まで海岸の雨の山道を、験潮器を背負って、苫《とま》をかぶってあるいていると、ホトト
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