をかいて楽しんでおられた。無遠慮な批評を試みると口を四角にあいて非常に苦《にが》い顔をされたが、それでも、その批評を受けいれてさらに手を入れられることもあった。先生は一面非常に強情なようでもあったが、また一面には実に素直に人の言う事を受けいれる好々爺《こうこうや》らしいところもあった。それをいいことにして思い上がった失礼な批評などをしたのは済まなかったような気がする。いつかおおぜいで先生を引っぱって浅草《あさくさ》へ行ってルナパークのメリーゴーラウンドに乗せたこともあったが、いかにも迷惑そうではあったが若い者の言うなりになって木馬にのっかってぐるぐる回っていた。そのころよく赤城下《あかぎした》の骨董店《こっとうてん》をひやかして、「三円の柳里恭《りゅうりきょう》」などを物色して来ては自分を誘ってもう一ぺん見に行かれたりした。京橋《きょうばし》ぎわの読売新聞社で第一回のヒューザン会展覧会が開かれたとき、自分が一つかなり気に入った絵があって、それを奮発して買おうかと思うという話をしたら、「よし、おれが見てやる」と言って同行され、「なるほど。これはいいから買いたまえ」といわれたこともあった。
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