夏目漱石先生の追憶
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)熊本《くまもと》第五高等学校

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)この二|室《へや》が

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ](昭和七年十二月、俳句講座)

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)グウ/\/\
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 熊本《くまもと》第五高等学校在学中第二学年の学年試験の終わったころの事である。同県学生のうちで試験を「しくじったらしい」二三人のためにそれぞれの受け持ちの先生がたの私宅を歴訪していわゆる「点をもらう」ための運動委員が選ばれた時に、自分も幸か不幸かその一員にされてしまった。その時に夏目先生の英語をしくじったというのが自分の親類つづきの男で、それが家が貧しくて人から学資の支給を受けていたので、もしや落第するとそれきりその支給を断たれる恐れがあったのである。
 初めて尋ねた先生の家は白川《しらかわ》の河畔で、藤崎神社《ふじさきじんじゃ》の近くの閑静な町であった。「点をもらいに」来る生徒には断然玄関払いを食わせる先生もあったが、夏目先生は平気で快く会ってくれた。そうして委細の泣き言の陳述を黙って聞いてくれたが、もちろん点をくれるともくれないとも言われるはずはなかった。とにかくこの重大な委員の使命を果たしたあとでの雑談の末に、自分は「俳句とはいったいどんなものですか」という世にも愚劣なる質問を持ち出した。それは、かねてから先生が俳人として有名なことを承知していたのと、そのころ自分で俳句に対する興味がだいぶ発酵しかけていたからである。その時に先生の答えたことの要領が今でもはっきりと印象に残っている。「俳句はレトリックの煎《せん》じ詰めたものである。」「扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。」「花が散って雪のようだといったような常套《じょうとう》な描写を月並みという。」「秋風や白木の弓につる張らんといったような句は佳《よ》い句である。」「いくらやっても俳句のできない性質の人があるし、始めからうまい人もある。」こんな話を聞かされて、急に自分も俳句がやってみたくなった。そうして、その夏休みに国へ帰ってから手当たり次第の材料をつかまえ
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