に対して反感をいだく人もあるようである。それはせっかくの神秘なものを浅薄なる唯物論者の土足に踏みにじられるといったような不快を感じるからであるらしい。しかしそれは僻見《へきけん》であり誤解である。いわゆる科学的説明が一通りできたとしても実はその現象の神秘は少しも減じないばかりでなくむしろますます深刻になるだけの事である。たとえば鎌鼬《かまいたち》の現象がかりに前記のような事であるとすれば、ほんとうの科学的研究は実はそこから始まるので、前に述べた事はただ問題の構成《フォーミュレーション》であって解決《ソリューション》ではない。またこの現象が多くの実験的数理的研究によって、いくらか詳しくわかったとしたところで、それからさきの問題は無限である。そうして何の何某が何日にどこでこれに遭遇するかを予言する事はいかなる科学者にも永久に不可能である。これをなしうるものは「神様」だけである。
「鸚鵡石《おうむいし》」という不思議な現象の記事を、※[#「車+酋」、第3水準1−92−47]軒小録《ゆうけんしょうろく》、提醒紀談《ていせいきだん》、笈埃随筆《きゅうあいずいひつ》等で散見する。これは山腹に露出し
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