にしたらどうであろう。その積算的効果はかなりなものになりはしまいか。
まとまったものを少しずつ小切って読んで行って、そうして前後の連絡を失わないようにするという事は必ずしも困難とは限らない。事がらによってはかえって一時に詰め込むよりも適当に小切ったほうが理解にも記憶にも有効であるという事は実験心理学者の認めるところである。私の知っている範囲でも、毎日電車に乗っている間だけロシア語を稽古《けいこ》したり、カントを読んだりしてそれで相当な効果をあげた人さえある。しかしかりにそういう人が例外であるとしても、ともかくも毎朝新聞を読むのといいまとまった書物を読むのと比べてどちらが頭脳の足しになるかという事は、はじめから議論にならないような気がする。
それでも多くの人の中には新聞なら毎日読む気になるが書物と名のつくものは肩が凝ってとても読む気になれないという人があるかもしれない。それはおそらく習慣の養成でどうでもなるはずのものだとは思うが、どうしても書物のきらいな人があるとすれば、そういう人にはまたそれなりの新聞の代わりになるものはいくらでも考え得られる。
謡の好きな人はその時間に一番ずつう
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