ぶさたな感じはあったに相違ないが、それと同時になんだか急に世の中がのんびりしたような気持ちがないでもなかったように思う。もっとも自分のような閑人《ひまじん》はおそらく除外例かもしれないから、まず大多数の人はかなり迷惑を感じたものと見たほうが妥当には相違ない。
 まずだれよりもいちばん迷惑を感じたのは新聞社自身であったろうが、ここではそれは問題に入れるわけには行かない。それと前述の投機者階級を除いたその以外に迷惑したのはだれだったろうと考えてみた。
 続きものの小説が肝心のところで中絶したために不平であった人もあろうし、毎朝の仕事のようにしてよんでいた演芸風聞録が読めないのでなんだか顔でも洗いそこなったような気持ちのする閑人《ひまじん》もあったろう。
 こういう善良な罪のない不満に対しては同情しないわけにはいかない。しかし現在の実験を遂行する場合にこの物足りなさを補うべき代用物はいくらでも考え得られる。それにはいわゆる新聞小説よりももっとおもしろくて上等でかつ有益な小説もあろうし、風聞録の代わりになるもっとまとまった読み物もあるだろう。そういう書物を毎日新聞を読む時間にひと切りずつ読む事
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