園の花だよりでも動物園の鳥獣の消息でもなんらかの深い観察があれば何物かを読者に与える。それよりも起こるべくしてわずかに起こらないでいるあらゆる過失や危険の芽を摘発し注意を与える事がいっそう有益である。たとえば電車や公共建築物設備の不完全あるいは破損のために将来当然に起こるべきけがや病害を、とかく不手回りがちな当局者に先だって発見し注意したい。電車の不完全な救助網や不潔な腰掛け、倒れそうな石垣《いしがき》やくずれそうな崖《がけ》、病菌や害虫を培養する水たまりやごみため、亀裂《きれつ》が入りかかって地震があり次第断水を起こすような水道溝渠《すいどうこうきょ》、こわれて役に立たぬ自働電話や危険な電線工事、こういう種類のものを報道して一般の用心と当局の注意を喚起したい。
 社会の風教を乱すような邪教|淫祠《いんし》、いかがわしい医療方法や薬剤、科学の仮面をかぶった非科学的無価値の発明や発見、そういうものに世人の多くが迷わされて深入りしない前にそれらの真価を探求したい。官衙《かんが》や商社における組織や行政の不備や吏員の怠慢に対しても犀利《さいり》な批評と痛切な助言を加えたい。
 これらのあらゆる探究摘発批評の動機が純粋に好意的のものでありたい。不備に対して当事者を攻撃し誹謗《ひぼう》する事よりもむしろ当事者の味方になり、そうして一般読者とともにその不備を除去する方法を講究する機関となる事を心がけたいものである。そういう心持ちがもう少しはっきり現われていさえすれば、現在の新聞でももう少し気持ちのよいものになりはしまいか。
 以上の理想を実現させるためには新聞社はあらゆる実務や学術技芸はもちろん一般思想上の各方面について第一流の人たちを記者として網羅《もうら》しなければならない。これはずいぶん困難な事かもしれない。しかし私は「社会の先導者」としての新聞のほんとうの使命を果たすためには、それはむしろやむを得ない当然の事ではないかと思っている。あらゆる方面の文化の先達となるためには、なるだけの根底を作らなくては無理ではあるまいか。

 このような考えから私の「実験」は一つの夢のような大新聞の設立に移って行った。
 この社の主脳を形成するものは、あらゆる官庁学校商社のみならず、各政党や宗教家思想家のあらゆる団体の代表的人物を網羅したものでなければならない。そしてそれらの社員は単に寄書家という格で外様大名《とざまだいみょう》のような待遇を受けるのでなくて、その社の仕事の全体に参与しかつ責任を負うものでなくてはならない。これらの記者たちはそれぞれ専門の方面で一般のために有益であるべきあらゆる重要事項の正確な報道紹介や、災害の防止に関する適切な助言や注意を提供し、また公共事業に対する問題を提出して最善の方案を公衆に求める事を努めなければならない。もちろんこれらの人々は一方ではそれぞれの本来の職務に従事しているが、その職務時間の若干をさいて公衆のためにこれらの記事を草するという事は少しも不都合とは思われないのみならず、むしろそういう事は職務に付帯した義務の一部分と考えられない事はない。またそういうものを記述する事によって各自の職務の遂行上有益な啓示《ヒント》を得る場合もかなり多いだろうと思われる。
 こういう大新聞社の経営を少数な資本家の手にゆだねるのは穏当ではあるまい、これはむしろ全国民自身か、少なくもその大部分の共同経営によるものとしなければなるまい。そうするためには経営維持に必要な費用は租税などと類似の方法で一般から集め、記者や編集員らも適当に組織された選挙制度によって定めるべきであろう。しかしこういう選挙制度にいつも付きまとう弊害を防止するためにはこれらの記者の地位を決して物質的に有利なものにしてはならない。記者たる事によって一身の利益を計るに便宜を得るような可能性は始めから除去するような制度組織が必要である。ほんとうに社会の利益のみしか考えない人ばかりならばその必要はないが、この用心はだれも知るとおり今のところどうしても必要である。
 もしこのような新聞社ができたとすれば、それは従来の意味の新聞社とはだいぶちがったものになる。むしろ国民社会一般の幸福安寧に資すべき調査研究報告機関のようなものになってしまう。こういうものは全国にただ一つあって、各地には適当に支局を分配して、中央を通じて相連絡すればよい。
 政治経済教育宗教学芸産業軍事その他ありとあらゆる方面にわたる現実の正確な知識を与え、一般の輿望《よぼう》に基づいて各当局の手の回らぬところを研究し補助して国家社会のあらゆる機関の円滑な融合を計るがために、こういう特別な一大組織を設けるという事は、むしろ一国の政府自身としても当然考えなければならない事のように思われる。単に小官衙《しょうかんが》
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