たうもよし、盆栽を楽しむ人は盆栽をいじるもいいし、収集家は収集品の整理をやるもいいだろう。
昼も夜も忙しい人は出勤前のわずかな時間までも心せわしさをむさぼるかのように急いで新聞を読む代わりに、さなくばめったに口をきく事のない家族とよもやまの談をかわすもいいだろう。あるいは特にそういう人たちはこの時間を利用して庭にでもおり、高い大空を仰いで白雲でもながめながら無念無想の数分間を過ごす事ができたらその効果は肉体的にも精神的にも意外に大きなものになるかもしれない。私はむしろ大多数の人のために何よりも一番にこのほうをすすめたいような気がする。そういうわずかな事によって人々の仕事の能率が現在よりもいくらかでも高められ、そうして人々の心持ちの平安はいくらかでも増し、行き詰まった心持ちと知恵とはなんらかの新しい転機を見いだしはしないだろうか。
小説や風聞録のようないわゆる閑文字について言われる事は、実は大多数の読者にとって、他の大部分のいわゆる重要記事についても言われるのである。多くの読者が社会記事や政治欄を読む心持ちが小説その他の閑文字を読む心持ちと根本的にどれだけ違うかという事はよくよく考えてみるとかえって容易にわからなくなって来る。差別の要点は記事の内容の現実性にあると考えてみても、読者自身に切実な交渉のない、しかもいわゆる定型のためにかえって真実性の希薄になった社会記事と、事実はどうでも人間の中身にいくらか触れている小説や風聞録との価値の相違はそう簡単には片付けられないものだと私は思う。しかしそこまで追究するのは刻下の問題ではない。
ここでは私もあらゆる政治欄社会欄等の記事の内容がすべての種類の読者に絶対的必要なものであると仮定する。そういう仮定のもとに新聞全廃の実験を遂行するとすれば、必然の結果として、何か日刊新聞に代わってこれらの知識を供給する適当な機関が必要になって来るのである。
この必要に応ずる最も手近なものは、週刊、旬刊ないしは月刊の刊行物である。名前はやはり新聞でもそれはさしつかえないが、ともかくも現在の日刊新聞の短所と悪弊をなるべく除去して、しかもここに仮定した必要の知識を必要な程度まで供給する刊行物である。
私はこの二三年ロンドンタイムスの週刊を取っている。これがロンドンで出てから私の目にはいるまでにはどうしてもひと月以上はかかる。しかし私はそれがために、英国や欧州のみならず世界じゅうにおける重要な出来事をあまりにおそく知ったために、著しい損をしたと思った事がまだないように思う。のみならず、こちらの新聞の電報欄の不徹底な記事で読んだ時はなんの事だかわからずにいたいろいろの事がらが、これを読んで始めてふに落ちる事もしばしばある。これはおそらく自分のような迂闊《うかつ》なものに限った事ではなく、始めにあげたようないわゆる善良にしてまじめな大多数の日本国民について同様に当てはまる事ではあるまいか。
もしそうだとすれば、内国におけるいわゆる重要な出来事を十日ないし一月おくれて、そのかわりまとまった形でかなり確実に知るという事もそれほど不都合であろうとは思われない。それで不都合を感ずる人はもちろんあってもそれは前に繰り返して指摘しておいた少数の除外例に過ぎない。そうしてそれらの人は日刊新聞がなくなったところで決して困りはしない。困るとしたところでそういう人々の便宜のために大多数の幸福を犠牲にする必要は少しもない。
あらゆる記事の中で、ほんとうにその日その日に知らなくては意味のないものは、捜してみると案外少ないものである。
まず天気予報などがその一つである。これは今のところ一週間も前から予報を出す事は困難であり、またきのうの天気予報はきょうにとっては無意味であるから、どうしてもこれだけは日々に知らしてもらう必要がある。もっとも天気予報というもののほんとうの意味や価値はとかく誤解されがちであって、てんで始めから当てにしていない人がかなり多数である。そういう人は天気予報など知る必要を感じないでもあろうが、多少でも天気予報の原理に通じ、予報の適用の範囲を心得ている人にとっては、これは時にとっては非常に重宝なありがたいものである。しかしこれとても必ずしも新聞によらなくても他に報知する方法はいくらでもある。処々の交番なり電車停留所に掲示するもいいだろうし、処々に信号の旗を立てるもいいだろう。
不幸の広告なども一週間とは待てない種類のものだと考えられるかもしれない。しかし私の考えでは、不幸の知らせは元来書状でほんとうの意味の知友にのみ出すべきもので、それ以外の人は葬式などがすんで後に聞き伝え、あるいは週刊旬刊でゆっくり知ってもたいしたさしつかえはないはずである。もしも国民の大多数の尊敬しあるいは憎悪するような人が死にで
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