B氏は私の不審がっているのを面白そうに眺めるだけで、何の説明も与えてくれない。「まあ少し待ってくれ給え」と云っている。
 奧の間からこの家の主婦が出て来た。髪が真黒で顔も西洋人にしてはかなり浅黒く、目鼻立ちもほとんど日本人のようである。少しはにかんだような様子をして握手をした。しかし何も話さないで黙ってコオヒイを入れ始めた。
 B君の説明によると、この主婦の亡父は航海者であったそうである。両親がたまたま横浜に来ていた時に生れたのがこの娘であった。しかしまだ物心もつかないうちに本国に帰ってしまったので、日本の記憶と云っては夢ほどにも残っていないが、ただ生れた土地と聞くだけで日本の国土に対するゼエンズフトを懐《いだ》いている。そしていつか一度日本人というものに会ってみたいと云っていた。それを知っているB君は、今日私を見ると、ちょうどいい獲物が掛かったと思って連れて来たのである。
 B君のこの仕方は、悪意に解釈すれば私にとってあまり快くは思われない種類のものであった。しかしこの人の剽軽で学者らしく無邪気な、そしてどこか親切な態度に馴れた私はその時でも少しも悪い心持は起らなかった。そして遠い世
前へ 次へ
全9ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング