伊吹山の句について
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)芭蕉《ばしょう》俳句研究
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)その後|小宮《こみや》君に
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ](大正十三年二月、潮音)
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昨年三月の「潮音」に出ている芭蕉《ばしょう》俳句研究第二十四回の筆記中に
[#ここから3字下げ]
千川亭《せんせんてい》
おりおりに伊吹《いぶき》を見てや冬ごもり
[#ここで字下げ終わり]
という句について、この山の地勢や気象状態などが問題になっていて、それについていろいろ立ち入った研究があったようである。私もこの問題については自分の専門の学問のほうからも特別の興味を感じたので、それについての私の考えを、その後|小宮《こみや》君に話した事があった。当時その事について何か書いてみたらどうかという話もあったが、充分具体的な材料が手もとになかったから、ついそのままになっていたのである。近ごろ思い出して、急に材料を捜しにかかったが、容易に見つからず、とうとう彦根《ひこね》測候所に頼んで、同所の筒井百平《つついももへい》氏から、必要な気象観測のデータを送っていただいて、それでやっと少しはまとまった事を考えるだけの資料ができた。ここで改めて筒井氏の御好意に対してお礼を申し上げたい。
私がこの句に対して特別な興味を感じたのにはもう一つの理由がある。学生時代の冬休みに、東海道を往復するのに、ほとんどいつでも伊吹山付近で雪を見ない事はなかった。神戸《こうべ》東京間でこのへんに限って雪が深いのが私には不思議であった。現に雪の降っていない時でも伊吹山の上だけには雪雲が低くたれ下がって迷っている場合が多かったように記憶している。その後伊吹山に観測所が設置された事を伝聞した時にも、そこの観測の結果に対して特別な期待をいだいたわけであった。
冬季における伊吹山《いぶきやま》地方の気象状態を考える前には、まずこの地方の地勢を明らかにしておく必要がある。琵琶湖《びわこ》の東北の縁にほぼ平行して、南北に連なり、近江《おうみ》と美濃《みの》との国境となっている分水嶺《ぶんすいれい》が、伊吹山の南で、突然中断されて、そこに両側の平野の間の関門を形成している。伊吹山はあたかもこの関
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