授についてただ一つ可笑《おか》しかった事は、先生が英国の数理物理学の大家 Love のことをローフェと発音していたことである。
地球物理談話会もほんの五、六人の仲間であったが、その中にまだ若いコールシュッター氏も交じっていた。地理教室の図書の管理をしていた、オットー・バシンという人も同じ仲間であったがこの人は聴講に身が入って来ると引切りなしに肩から腕を妙に大業《おおぎょう》に痙攣させるので、隣席に坐るとそれが気になって困った。あんまり勉強し過ぎて神経を痛めているのではないかという気がした。図書の管理者などはどこでも学生には煙たがられると見えて、いつか同席したクナイペの席上における学生の卓上演説で冗談交じりにひどくこき下ろされていたが、当人は Sehrgemeiner Kerl などという尊称を捧げられても平気で一緒に騒いでいる面白い人であった。
大学講堂の裏の|橡の小森《カスタニーンウェルドシェン》をぬけて一町くらいのゲオルゲン街の一区劃に地理教室と海洋博物館とが同居していた。地理のコロキウムはここで行われ、次の二学年を通じて聴いたペンクの一般地理学の講義もここの講堂で授けられた。
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