マンが引率して近郊の地質地理見学に出掛けた。ペンクの足の早いのとベーアマンの口の早いのとに悩まされたが、ずいぶん色々とためにはなった。
学生の有志の見学団で毎週のようにいろいろの見学参加募集をする。その広告が大学の玄関に貼り出される。当時は世界第一であったナウエンの無線電信発信所を見物したのもこの見学団の一員としてであった。テレフンケン・システムの大きな蛇のようなスパークがキュンキュンと音を立ててひらめいては消えるのを見た。同じ団体にはいってヘッベルの劇場の楽屋見学をしたときは、奈落《ならく》へ入り込んでモーターで廻わす廻り舞台を下から仰いだり、風の音を出す器械を操縦させてもらったりした。音を出すのは器械だが、音を風音らしくするのはやはり人間の芸術らしいと思われた。
三学期一年半のベルリン大学通いは長いようでもありまた短いようでもあった。たいそう利口になったようでもありまた馬鹿になったようにも思われた。引上げてゲッチンゲンへ移るときはさすがに名残惜しい気がするのであった。
マルシャル橋や王宮橋から毎日のように眺め見下ろしたスプレーの濁り水に浮ぶ波紋を後年映画「ベルリン」の一場面で
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