者と思われた。聴講者はいつも教場に溢れていた。
 講義や輪講の外に色々の見学があった。ヘルマン教授の許《もと》にいた連中とリンデンベルクの高層気象台へ行ったときはベルゾン博士が案内の労をとった。この人はジューリングと一緒に気球で成層圏の根元に近づき一時失神しながらも無事に着陸したという経験をもっていて、搭乗気球としての最高のレコードの保持者であった。鉄道幹線から分れた田舎廻りの支線、いわゆるクラインバーンの汽車の呑気なのに驚いたのはこの時である。東京の市電よりのろいくらいの速度で蛇のようにうねった線路を汽笛の代りにチャン/\/\と絶えずベルを鳴らして進むのである。ポンチ絵のクラインバーンにはきっと豚や家鶏が鉄路の上に遊んでいるように描いてある、その通りである。ゲハイムラート以下皆往復共に四等客車に収まって行った。客車の中は白塗りのがらんどうで、ただ片側の壁に幅の狭い棚のような腰掛があるだけである。乗合わせた農夫農婦などは銘々の大きな荷物に腰かけているからいいが、手ぶらの教授方以下いずれも立ったままでゆられながら、しきりに大気の物理を論じ合っていた。
 地理学教室ではペンクや助手のベーア
前へ 次へ
全16ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング