スパーク
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)なかなか六《むつ》かしい

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(例)[#地から1字上げ](昭和三年九月『理学部会誌』)
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         一

 当らずさわらずの事を書こうとするとなかなか六《むつ》かしい。真理は普遍だから、少しでも真理に近いことを書けば、すべての人があてられ、痛い所をさわられる。優れた小説を読むとすべての人が自分をモデルにしたのではないかと思う。己《おれ》がモデルだと自称する人が幾人も出て来たりする。「坊ちゃん」のモデルの多いのは当然としても、自《みずか》ら「赤シャツ」と称するのが出て来たりするから面白い。元来作者は自分自身の中に居る「坊ちゃん」「赤シャツ」「のだ」「狸」「山あらし」を気任せに取出して紙面の舞台で踊らせ歌わせる。見物人の読者はそれを見て各自の中に居る「坊ちゃん」「赤シャツ」エトセトラを共鳴させる。気楽なたちの人はそのうちで自分に都合のいい気持のいいのだけを自由に振動させ、都合のわるいのはそっとダンプしておく。あるいは自分の嫌いな人にそれをプロジェクトして一種の満足を享楽する。少し苦労性な素質の人だと自分の中の悪い方のをより強く共鳴させて痛みを感ずる。それが少しペルヴェースな性質の人になると、わざわざその痛みを増大させる事に愉快を感ずる。もしわれわれが自分の中のすべての「人形」すべての「共鳴器」をありのままに認識する事が出来れば幸福だろうと思うが、それは出来ない相談でもあり、それではあまりに世の中が淋しくなるのかもしれない。

         二

 新しい学説が学界から喜んで迎えられるならば、それはその説がその当代の学界の痛切な要求にうまく適合するからであることは明らかである。もう十年も前から世界中の学者が口をもぐもぐさせて云おうとしていたが、適当な言葉が出て来ないので困っていたところへ、誰かが出て来て、はっきりした言葉でそれをすぱりと云って退《の》ければ、世界中の学者は一度に溜飲《りゅういん》が下がったような気がするであろう。

         三

 運慶《うんけい》が木材の中にある仁王《におう》を掘り出したと云われるならば、ブローリーやシュレディンガーは世界中の物理学者の頭の中から波動力学を掘り出したということも
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