出来るであろう。「言葉」は始めから在る。それを掘り出すだけのことである。ニュートンがその一つの破片を掘り出し、フレネル、ホイゲンス等はもう一つの欠けらを掘り出した。それからそれといろいろの欠けらが掘り出されたが、欠けらと欠けらがしっくり合わなくて困っていた。どちらの欠けらも「間違い」ではなくて「真」の一片であった。近頃やっと二つの欠けらがどうやらうまく継ぎ合わされたようである。
 すべての破片がことごとく揃ってそれが完全に接合される日がいつかは有限な未来に来るであろうと信ずるか、あるいはそれには無限大の時間を要すると思うかは任意である。しかしどちらを信ずるかでその科学者の科学観はだいぶちがう。孔子と老子のちがいくらいにはちがいそうである。

         四

 新しいもの好きの学者があるとする。新しいおもちゃを貰った子供が古い方を掃溜《はきだめ》に投込んでしまうように、新しい学説の前にはすべての古いものがみんな駄目になったように思う人が万一あるとしたら、それはもちろん間違いである。もっともそういう人はどこにもないであろうが、ともかくも古いものも新しいものもやはり破片である。今日の新しい破片は明日の古い破片でなければならないことは歴史のエキストラポレーションが証明する。ただ昨日の破片より今日の破片の方が一歩だけ「全体」に近づいて来ただけである。

         五

 科学の進歩を促成するのはもちろん科学者であるが、科学の進歩を阻害するのもまた科学者自身である。学者を尊敬しない世人、研究費を出し惜しみする実業家、予算を通さない政府の官僚、そう云ったようなものがどれだけ多くあっても科学の進歩する時はちゃんとするのである。
 科学を奨励する目的で作られた機関が、自己の意志とは反対に、一生懸命科学の進歩を妨害しているという悲しむべき結果になる事もあるようである。これがいちばん困る。
 科学も草木ものびのびと自由に生長させる方がよいようである。少しくらい雑草も生えても、いい木はやはり自然に延びる。下手な植木屋が良い木を枯らす。
 科学者が利口になると科学は進歩を中止する。科学者はみんな永久に馬鹿でありたい。

         六

 理学部会委員に約束しておいたのを忘れていて、今日最後の通牒《つうちょう》を受けて驚いて大急ぎで書いたので甚だ妙なものになった。スパー
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