どうでもよいのである。「どこかに人殺しがあった」という事実だけが正確でうそでなければ、それ以外の間違いについて新聞社に苦情を持ち込むほど物ずきな読者はまれであろうと思われる。真相が少しわかりかけるころには読者も記者ももうきれいに忘れているのであろう。
 そうはいうものの、同じ事件に関する甲乙二つの新聞の記事が、一つ一つ別々に見れば実にもっともらしくつじつまが合っているのに、両方を比較してみるとまるで別の事件のように思われるほどかけ違ったり事がらが反対になったりしている場合も決して少なくはないので、そういう時にはさすが楽天的なわれわれ読者もいくらかの不安と不満を感じないわけにはゆかないようである。
 昔の新聞にはずいぶんおもしろい例が多かった。心中者の二人が死ぬ前に話し合った言葉などがさもそばで速記者が立ち聞きでもしていたかのように記録されていたりしたものである。それが近松《ちかまつ》や黙阿弥《もくあみ》張りにおもしろくつづられていたものである。これは実に愉快な読み物であったが、さすがにこのごろはそういうのは、少なくも都下の新聞にはまれなようである。しかし、本質的にはこれと同様な記事は今
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