ているか狂っているかは別問題であるが、見当をつけ得られるということが肝心の問題である。そこで某殺人事件の種取りを命ぜられた記者は現場に駆けつけて取りあえずその材料を大急ぎでかき集めた上で大急ぎでそれを頭の中のカタログ箱の前に排列してそうしてさし当たっていちばんよいはまりそうな類型のどれかにその材料をはめ込んでしまう。そうするとともかくもそこに一つのもっともらしい殺人物語ができあがる。もちろん事実の真相とどれだけかけ離れているかはこの際問題にしている暇はないので、ただいかにももっともらしくその場限りのつじつまが合っているということが大切なのである。さて、こういう記事を読む読者のほうの頭の中にもやはり同じ物語や小説やから収集したあらゆる類型がちゃんと用意されてあるのだから、新聞の類型的描写が自然にぴったりとこっちの持参の型のどれかにはまり整合する。従ってそれで完全に納得し、満足し、そうして自分では容易にできないのを他人のしてくれた殺人のセンセーションを享楽することができるのである。それがたとえ事実とどれほど離反していても、そんなことは元来加害者にも被害者にも縁故のない赤の他人の一般読者には
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