めな学者たちはその仕事が「世界的大発見」「大発明」として新聞に発表されることを何よりもこわがっている。どうかして間違ってこの災害にかかると、当人は冷や汗を流して辟易《へきえき》し、友人らはおもしろがってからかうのである。せっかくの研究が「いかもの」の烙印《らくいん》を押されるような気味が感ぜられるからである。それでも気の広い学者は笑って済ますが気の狭い潔癖な学者のうちには、しばしば「新聞的大発見」をするような他の学者に対してはなはだしく反感と軽侮をいだくような現象さえ生じるのである。こうなるとジャーナリズムはむしろ科学の学海の暗礁になりうる心配さえ生じるのである。
 純粋な物理学や化学の方面の仕事はどんな立派な仕事でも素人《しろうと》にはむつかし過ぎてわからないために、「こうした大発見」になる心配がまずまず少ないのであるが、たとえば気象や地震の方面だとその心配が多分にあるのである。そういう心配のありそうな論文でも発表しようとする場合には、その論文の表題を少し素人わかりの悪いものにしておけば、決してジャーナリストにつかまる心配がないということである。
 発明発見、その他科学者の業績に関す
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