君にはやらせないで独りで台所で何かガチャつかせながらやっていた。
 花を尋ねたり、墓を訪うたり、美しい夢ばかり見ていたあの頃の自分には、このイタリア人は暗い黄泉の闇に荒金を掘っている亡者《もうじゃ》か何かのように思われた。とにかく一種侮蔑の念を抑える訳に行かなかった。日露戦争の時分には何でもロシアの方に同情して日本の連捷《れんしょう》を呪うような口吻《こうふん》があったとかであるいは露探《ろたん》じゃないかという噂も立った。こんな事でひどく近所中の感じを悪くしたそうだが、細君の好人物と子供の可愛らしいのとで幾分か融和していたらしい。子供は髪が黒くて色が白くて美しい。上の男の子はあの頃四つくらいで名はエンリコとかいうそうだが、当り前の和服を着て近所の子供と遊んでいるのを見ては混血児と思われぬようであった。黒田はこの児を大変に可愛がってエンチャン/\と親しんでいた。父親が金をこしらえあげた暁にこの児の運命はどうなるだろうかと話し合った事もある。
 ジュセッポの家で時ならぬ嵐が起って隣家の耳を※[#「奇+支」、第4水準2−13−65]《そばだ》てさせる事も珍しくない。アクセントのおかしいイタ
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