イタリア人の家の庭から縁側が見下ろされる。二|間《けん》あるかなしの庭に、植木といったら柘榴《ざくろ》か何かの見すぼらしいのが一株塀の陰にあるばかりで、草花の鉢一つさえない。今頃なら霜解けを踏み荒した土に紙屑や布片などが浅猿《あさま》しく散らばりへばりついている。晴れた日には庭一面におしめやシャツのような物を干す、軒下には缶詰の殻やら横緒の切れた泥塗《どろまみ》れの女下駄などがころがっている。雨の日には縁側に乳母車があがって、古下駄が雨垂れに濡れている。家の中までは見えぬがきたなさは想像が出来る。細君からして随分こんな事には無頓着な人だと見える。どうせあんな異人さんのおかみさんになるくらいの人だからと下宿の主婦は説明していたそうな。しかし細君はごく大人しい好人物だというので近所の気受けはあまり悪い方ではなかったらしい。
 主人のジュセッポの事を近所ではジューちゃんと呼んでいた。出入りの八百屋が言い出してからみんなジューちゃんというようになったそうである。自分は折々往来で自転車に乗って行くのを見かけた事がある。大きなからだを猫背に曲げて陰気な顔をしていつでも非常に急いでいる。眉の間に深い
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