獅 itself." と書いた。
一八九七年に王立研究所(Royal Institution)の自然科学教授になった。先任者ティンダルが病気でやめたその後を継いだのである。主な仕事は毎年復活祭の前の土曜の午後六回の講演をするのと、その外に一回金曜の晩専門的な研究結果の講演をするだけであった。講義には色々の実験をやって見せるのでその助手には例のゴルドンが任命された。ここの設備は極めて貧弱で、例えば標準抵抗一つさえなかった。午後の通俗講演の聴衆三百人ほどの中には専門家も居れば素人も居た。彼は一枚の紙片に書いた覚え書によって講演し、実験をやって見せる時にはちょっと手品師のような所作をして聴衆を喜ばせたりした。一八九九年このインスティテューションの創立百年記念式にはトーマス・ヤングの業績について講演した。レーリーが深くヤングに私淑していたであろうということは、二人の仕事の一体のやり口を比較すれば自ずから首肯されるであろう。レーリーの持っていたヤングの『自然科学講義』(一八〇七)は鉛筆でつけたしるしがいっぱいである。一九〇五年にこの椅子を去ったが、その後にも一九一〇年と一九一四年に金曜の講演を
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