Kから出るような始末であったので、レーリーは取敢えず研究資金の募集にかかった。先ず自分で五〇〇ポンド、当時の名誉総長デヴォンシャヤー公が五〇〇ポンド出した。その他の寄附を合計して一五〇〇ポンドを得た。また教授のポケットにはいる学生の授業料もこの方につぎ込むということにした。
学生に一般的な初歩の実験を教えるという案を立てたが、その頃まだ学生用の器械などは市場になかった。幸いにジェームス・スチュアルト教授の器械工場の援助を得て、簡単で安いガルヴァなどを沢山作らせることが出来た。
マクスウェルから引継いだ助手は、事務家ではあったがあまり役に立たなかった。それが間もなく死んだので後任者を募集したときに出て来たのがジョージ・ゴルドン(George Gordon)であった。もとリヴァプールの船工であっただけに、木工、金工に通じていたのみならず、暇さえあれば感応コイルを巻いたり、顕微鏡のプレパラートを作ったりするような男であった。田舎弁で饒舌《しゃべ》り立てるには少し弱ったが、しかし大変気に入って、これがとうとう終りまでレーリーの伴侶となったのである。レーリーの立派な仕事の楽屋にはこの忠実な田
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