ノ漢《でんしゃかん》のかくれていた事を記念したい。
 レーリーは器械が役に立ちさえすれば体裁などは構わなかった。それでゴルドンがいよいよ最後の「仕上げ」にかかる頃には、早速召し上げて行って使った。
 マクスウェル付きの demonstrator が辞任したあとへグレーズブルックとショー(R.T.Glazebrook & W. N. Shaw)が就任した。この二人の手を借りて学生の実験演習の系統的なコースを設立した。この、現在我国の大学でもやっているような規則正しいコースがケンブリッジに無かったのである。このコースを書物に纏めたのがすなわち Glazebrook & Shaw : Practical Physics である。感じ炎の実験などがあるところにレーリーの面影が出ている。
 レーリーの最初の講義は「物理器械使用法」で、次は「湿電気(galvanic electricity)と電磁気」であった。当時まだ galvanic electricity などという語が行われていたのである。聴講者はただの十六人であった。この数は彼の在職中あまり変化はなかった。当時の思い出を書いたシジウィック
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