を書いていた。午前中は大抵キャビンに籠ってこの仕事に没頭していた。しかしすっかり戸口を締め切って蠅《はえ》を殺してしまってから仕事にかかる必要があったのである。義姉のエリーノアはレーリーの机の前に坐って彼から数学を教わっていた。どんな面白い見物があっても午前中はなかなか上陸しようとしなかった。午後にはデッキへ出てエジプトコーヒーをすすりながら、エジプトロギーをひやかしなどした。
 帰途はギリシアからブリンデイシ、ヴェニスを経て一八七三年五月初旬にロンドンに着いた。そうしてアーサー・バルフォーアの近頃求めた No.4 Carlton Gardens に落着いた。これが晩年までも彼のロンドンでの定宿となり、ほとんど毎年数週ないし数月をここに送ることになったのである。
 旅から帰った翌月、すなわち六月十四日に彼の父のレーリー卿が死んだ。これは彼にとって大きな悲しみであったのみならず、父の遺産の管理という新たな責任が彼の科学的生活の前途を妨げはしないかという心配があった。
 一八七三年の秋に新しきレーリー卿となった彼はトフツの邸《やしき》から父祖の荘園ターリングに移った。それまでは石油ランプを
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