。ルクレチウスを紹介せんとするに当たってまずこの点に誤解のないように、わざわざ贅言《ぜいげん》を費やす必要を感じる。しかしルクレチウスの書の内容を科学的と名づけるということについては多くの異論があるに相違ない。特に現在のいわゆる精密科学の学徒から見れば到底彼らの考える科学の領域に容《い》れることを承認し難いものと考えられるに相違ない。
問題は畢竟《ひっきょう》科学とはなんぞや、精密科学とはなんぞやということに帰着する。しかしこの問題は明らかに科学の問題ではなく従って科学者自身だけでは容易に答えられない問題である。私も今ここでこのむつかしい問題の考察を試みる考えはないのであるが、ただ現在の精密科学の学生たちの多くが、この問題にあまりにはなはだしく無関心であることは事実である。彼らは高等学校から大学へ来て各自専門の科学の部門の豊富な課程に食傷するほどの教育を受けるのであるが、いまだかつてどこでも科学とかなんとかいう事についての考察の端緒をも授けられないのである。その結果はどうであるか。たとえば物理学の課程を立派に修得し、さらに大学院に入り五年間の研究の成果によって学位を得た後においても、
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