tが出て来る。そしてこのギリシアの賢人が宗教の抑圧のために理知の光をおおわれていた人類に始めて物の成立とその方則を明示した功績をたたえている。そうして今自分がこのギリシア人の発見した真理の教えを伝えんとするに当たって、自分の母語ラテンがあまりに貧しいものであるとこぼしている。しかしせいぜい骨折って「物の中心の隠れた心核を見るためのかなたよりの光」を伝え、物の最初の胚芽《はいが》たる元子について物語ろうというのである。
そういう事を自分が論ずるのは神を冒涜《ぼうとく》するものと思われるかもしれない。しかしそれよりももっと冒涜的な事をしばしば犯すものは実は宗教自身である。そう言って、イフィゲニアの犠牲の悲惨な例をあげ、犠牲の罪悪である事、その罪悪を犯させるものはすなわち宗教である事、そういう事になるのは畢竟《ひっきょう》人間が死を恐れるためであるが、死が何物であるかをほんとうによく知りさえすれば、そんな恐怖もなくなり、従って宗教が罪を犯す事もなくなる。こう言って後に論ぜんとする霊魂非不滅論の伏線をおいている。わずかにこれだけ読んでも彼がいかにはえ抜きの徹底した自然科学者であるかがわかって
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