Nレチウスと私の呼ぶものは、必ずしもローマの詩人ルクレチウス・カールスをさすのではなくて、かの書に示された学説の代表者を抽象してそれをさすものである事を承知した上で以下の解説を読んでもらいたいと思うのである。

       一

 ルクレチウスの第一編は女神ヴィナスに呼びかけた祈りの言葉で始まっている。これはあらゆる神と宗教とを無視し否定せんとする彼にふさわしからぬようであるが、実はこの彼のヴィナスは「自然」とその「生成の方則」をさしているように思われる。そう思って読むと彼の言葉が生きて来るようである。それからヴィナスに訴えて、どうかその愛人たる軍神マルスが、自分のこの詩を書く邪魔をしないように心配してくれと頼んでいる。これもシーザーやポンペイの活躍していた恐怖時代のローマの片すみで静かに科学の揺籃《ようらん》をつづっていたこの人の心境をうかがわせるに足るのである。
 要するにこの冒頭は詩編の形式を踏襲するために置かれた装飾のようであるが、これもまた彼の全巻をおおう情調の前奏曲として見るとおもしろいのである。
 次に名はさしてないがロイキッポスあるいはエピクロスの礼賛《らいさん》の言
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