ゥらいかに多くの暗示が得られるであろうかという事はだれでも自然に思い及ばないわけには行かないであろう。
原子素量の存在、その結合による物質の構成機巧、物質総量の不滅、原子の運動衝突と物性の関係、そういうようなものが予想されているばかりでなく、見方によっては電子のようなものも考えられており、分子《ぶんし》格子《こうし》のごときものも考えられている。またおそらくニウトンが直接あるいは間接に受けついだと思われる光微粒子説でも一時全く忘れられていたのが、最近にまた新しい形で復活して来たのは著しい事である。また彼が生物の母体から子孫に伝わると考えた遺伝の元子のようなものが近代の生物学者の考える遺伝素といかによく似たものであるか。そういう事を考えてみる。十九世紀二十世紀を予言した彼がどうしてきたるべき第二十一世紀を予言していないと保証する事ができようか。今われわれがルクレチウスを読んで一笑に付し去るような考えが、百年の後に新たな意味で復活しないとだれが断言しうるであろうか。
私は自分の頭になんらの「考え」をもたない科学者がかりにあるとして、そういう人がルクレチウスを百ぺん読んでもなんの役にも立
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