フ考えに常に新しい活路を与えたのは、私に言わせれば彼らの頭の中にいるルクレチウスのしわざである。決して彼らの図書室に満載された中のどの物理学書でもないのである。
 しかし何もアインシュタインやブローリーらのごとき第一流の大家だけには限らない。ほとんどいかなる理論的あるいは実験的の仕事でも、少しでも独創的と名のつく仕事が全然直観なしにできようとは到底考えられない。「見当をつける」ことなしに何事が始め得られよう。「かぐ」ことなしにはいかなる実験も一歩も進捗《しんちょく》することはあり得ない。うそだと思う人があらば世界の学界を一目でも見ればわかることである。
 ケルヴィンやマクスウェルがルクレチウスを読んだのはなんのためであるかはよくわからない。しかし彼らがこの書の中に彼らに親しい何物かを感じたには相違ないと想像される。実際ルクレチウスに現われた科学者魂といったようなものにはそれだけでも近代の科学者の肺腑《はいふ》に強い共鳴を感じさせないではおかないものがある。のみならず、たとえ具体的にはいかに現在の科学と齟齬《そご》しても、考えの方向において多くの場合にねらいをはずれていないこの書物の内容
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