ゥ与えないかという問題となると、前述の見解の相違の結果が明瞭《めいりょう》に現われて来るのである。
 現在の精密科学の方法の重要な目標は高級な数理の応用と、精緻《せいち》な器械を用いる測定である。これが百年前の物理学と今の物理学との間に截然《せつぜん》たる区別の目標を与えるのである。それで考え方によっては物理的科学の進歩すなわち応用数学と器械の進歩であるかのごとき感じを与えるのである。今もしこの二つの目標に準拠してルクレチウスを批判し採点するとすればどうであろう。これはいうまでもなく全然落第でありゼロである。なんとなれば全巻を通じて簡単な代数式一つなく、またなんらの簡易な器械を用いていかなる量を測定した痕跡《こんせき》もないからである。
 しかし、今一方に数理と器械を持たない赤手《せきしゅ》のルクレチウスを立たせ、これと並べて他方に数学書と器械を山ほど積み上げた戸棚《とだな》を並立させてよくよくながめて見るのもおもしろい。ルクレチウスは素手でともかくも後代の物理的科学の基礎を置いたことは事実であるのに、頭脳のない書物と器械だけでは科学は秋毫《しゅうごう》も進められないのである。
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