セ白なる事実は不幸にして往々忘れられる。数学と器械が、それを駆使する目に見えぬ魂の力によって初めて現わし得た偉大な効果に対する感嘆の念は、いつのまにか数学と器械そのものに対する偶像的礼拝の心に推移しようとする傾向を生ずる。そういう傾向は特に現代のアカデミックな教育を受けた若い学生の間に多いのみならず、また西洋でも二三流以下の学者の中にかなりに存在するように見える。この迷信の結果は往々はなはだしく滑稽《こっけい》な事になって来る。きわめて不適当あるいは誤った考えを前提としてそして恐ろしくめんどうな高等数学の数式を取り扱い、その解式が得られると、その数式の神秘な力によって、瓦礫《がれき》の前提から宝玉の結果が生まれるかのような気がしたり、またその計算がむつかしくめんどうであればあるほど、その結果の物理的価値が高められるかのごとき幻覚を生ぜしめることもまれではないようである。しかし数学の応用は畢竟《ひっきょう》前提の分析である。鉛を化して金とする魔力はないのである。同じように立派な高価な器械を使えば使うほど何かしらいい結果が得られるというような漠然《ばくぜん》たる予感もやはり器械に対する一つ
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