たのが、捲線が次第に黴《か》びたり、各部の絶縁が一体に悪くなったりしたために感度が低下し、その上にラジオ商が外見だけは同じで抵抗もインダクタンスもまるでいい加減なコイルを取換えたりしたために、感度は一桁も二桁も下がったと思われる。しかしラジオ商や百貨店ラジオ係が自分の店でそれを試験する場合には、高い長いアンテナを使い、完全なアースを使って試験するのであるから、感度の低い機械でもちゃんと立派に聞こえ、何不足もない機械としか見えないであろう。これは求めるものと与えるものとの意志の疎通せぬためである。此方《こっち》ではツァイスの顕微鏡を要求しているのに露店で売っている虫眼鏡をよこして「見える」「見える」と云って主張するようなものである。
とにかくアンテナを拡張し、完全なアースをすれば聞こえるであろうと思われたが、それがおっくうであるのと、もう一つは、前述のような理由から元来熱心でないためとでついついそのままに放棄してあった。家族もやはり興味が冷却したと見えて、別にそれで不満を感じることもないようであった。それが近頃になって、どうかした機会に、近所のラジオ屋に来て見てもらったら、このラジオ屋さんはちゃんと心得ていてさっそく水道栓へアースを引っぱって、アンテナを天井の廻りに引延ばして、ともかくも音だけは旧通りに聞こえるようにした。そうして鼻を高くして帰って行ったのである。こわれた虫眼鏡が把手《とって》をつけただけでたちまちにして顕微鏡になったようなものである。しかしアースやアンテナを引っぱり廻わす事なしに役に立つ感度の好い機械としての価値はもう永久に失われたようである。東京市会議員のような機械になってしまったのは無残である。正宗《まさむね》がなまくらになったのは悲惨である。
それにしても、ラジオを商売にしている商売人でありながら、それぞれの機械に固有な感度というものを認めないのが不思議に思われる。正宗を砥《と》ぎにやったのをなまくらにして返して、これでも切れると云って平気でいるのは、少しおかしいと云わなければならない。
理科の学問をしているのに、どうして自分でラジオ機械を修繕しないのかと聞かれることがある。なるほど電磁気学理論の初歩も知らない素人で非常にラジオ通があるのに、三十年来この方面の学問に関係し、しかもそれで生活して来ている人間が、宅のラジオくらいを直すのに、一々ラジオ屋さんの御苦労を願うというのは自分ながら妙なことであると思われなくはない。紺屋《こうや》の白袴とでもいうのか、元来心掛けの悪いためか、それとも不精なのか、おそらくそれのすべてであろう。しかし一体に科学の研究を生涯の仕事にしている者のためには、出来てしまっているものには興味がなくてまだ出来ないものにのみ興味を引かれる。そうして出来ていないものがあまりに多い。ラジオの修繕までは手が届きかねるという人は自分のみならず他にもおそらく多いであろうと思われる。
ここまで書いた時に宅のラジオが鳴り出して、バッハのト短調、チェンバロ・コンチェルトというのを聞かせてくれた。いつ聞いても心持の悪くないものはこういう古典的な音楽である。からだ中の血液の濁りを洗うような気がする。こういうものが、うちの机の前に坐ったままで聞かれるのはやはりラジオの効用だと思う。[#地から1字上げ](昭和八年四月、日本放送協会『調査時報』)
底本:「寺田寅彦全集 第三巻」岩波書店
1997(平成9)年2月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:noriko saito
2004年8月13日作成
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