が行なわれている事実がこれに対する一つの答弁であるが、そればかりではない、もっと重要なことがある。現在同刻に他所で起こりつつある出来事の音響効果の同時放送中に、過去における別の場所の音的シーンを適当に插入《そうにゅう》あるいはオーヴァーラップさせ、あるいはまたフェード・イン、フェード・アウトさせることによって、現在のシーンの効果を支配し調節するということができるとすれば、それは蓄音機だけの場合にては決して有り得ない一つの現象を出現させることになるからである。
 たとえば満州《まんしゅう》における戦況の経過に関して軍務当局者の講演がある場合に、もし戦地における実際の音的シーンのレコードを適当に插入することができれば、聴衆の実感ははなはだしく強調されるであろう。また少し極端な例を仮想してみるとすれば、たとえばフランスでナポレオンの記念祭に大統領が演説したりする際に、もしも本物のナポレオンの声や、ウォータールーの砲声や、セントヘレナの波の音のレコードが(そういうものがあったとして、それが保存されていたとして)適当に插入《そうにゅう》されたとしたら、それは実に不思議な印象を与えるであろう。それ
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