と同様の効果をねらったものがあったかもしれない。しかし、もしこういう明白な意識を設定した上でその創作をするとすれば、かなり新しくておもしろい試みがいくらも行なわれうるのではないかと思われるのである。
 ただ一つラジオの場合に他の場合と区別しなければならない本質的の相違のある点は、ラジオはだいたい現在の瞬間にある場所で発している音楽をほとんど同時に他の場所に放送しているというところにある。それゆえに、いろいろな時にいろいろな場所で進行した音響的シーンを勝手な順序や間隔をもってモンタージュ的に配置することができないように見える。しかしこれには蓄音機というものがあって、その盤がちょうど映画のフィルムのごとく記録的に保存されうるのであるから、これを使えばかなりいろいろの勝手な技法を活用することができてもいいわけである。
 そう言えば、全部をレコードにして編集し、その編集の結果をまた一つづきのレコードとしてしまえば、結局ラジオの必要はなくなるのではないかという議論が持ち出されるであろう。それはある意味では実際そうであるが、しかし必ずしもそうばかりではない。第一に、蓄音機の存在にかかわらず音楽放送
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