一景は、実は子供だましのようなものであった。舞台の奥から機関車のヘッドライトが突進して来るように見えるのは、ただ光力をだんだんに強くし、ランプの前の絞りを開いて行くだけでそういう錯覚を起こさせるのではないかと思われた。
 しかし、ともかくも見ただけの甲斐はあった。友人の哲学者N君に逢ったとき、「哲学者はこういうものを一見すべきだろう」と云って見学をすすめておいたが、その後の端書《はがき》によるとやはり見に行ったそうである。それ以来逢わぬからまだこの人のレビュー観を詳《つまび》らかにすることが出来ない。
 数日たった後に帝劇で映画の間奏として出演しているウィンナ舞踊団を見た。アメリカのと比べてどこか「理論」の匂いがある。それだけにやはり充実した理窟なしの活力といったようなものが足りなくて淋しい。見物は義理からの拍手を送るのに骨を折っているように見え、踊り子が御挨拶の愛嬌をこぼして引込む後姿のまだ消え切らぬ先に拍手の音の消えて行くのが妙に気の毒であった。
 これらと比較のために宝塚少女歌劇というものも一度見学したいと思っていた。早慶戦のあった金曜日の夕方例によって友人と新宿の某食堂で逢って
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