われる。
 熱で渇いた口に薫りの高い振出《ふりだ》しをのませ、腹のへったものの前に気の利いた膳をすえ、仕事に疲れたものに一夕の軽妙なレビューを見せてこそ利き目はあるであろう。
 雑誌や新聞ならば読みたいものだけ読んで読みたくないものは読まなければよいのであるが、学校の教育ではそういう自由は利かない。それをすれば落第させられる。無拠《よんどころなく》教程を鵜呑《うのみ》にする結果は知識に対する消化不良と食慾不振である。
 教えるためには教えないことが肝心である。もう一杯というところで膳を取り上げ、もう一と幕と思うところで打出しにするという「節制」は教育においてもむしろ甚だ緊要なことではないか。この点について世の教育者、特に教科書の内容に関する一切の膳立ての任に当る方々の考慮を煩わしたいと思う次第である。
 教育者はそういう点から考えても時々はレビューでも映画でも大衆雑誌でも、およそ現代の少青年の心を捕える限りの民衆教育機関を見学し研究し、そうして、そういうものの如何なる因子が民衆に働きかけるかを分析して、その分析の結果を各自の仕事の上に応用すべきではないかと思われる。現代民衆の心理を無視
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