。読本《とくほん》をあけて見る。ありとあらゆる作者のあらゆる文体の見本が百貨店の飾棚のごとく並べられてある。今の生徒は『徒然草《つれづれぐさ》』や『大鏡』などをぶっ通しに読まされた時代の「こく」のある退屈さを知らない代りに、頭に沁みる何物も得られないかもしれない。 
 自分等が商売がら何よりも眼につくのは物理学の中等教科書の内容である。限られた紙幅の中に規定されただけの項目を盛り込まなければならないという必要からではあろうが、実にごたごたとよく色々のことが鮨詰《すしづめ》になっている。一頁の中に三つも四つもの器械の絵があったりする。見ただけで頭がくらくらしそうである。そうしてそれらの挿図の説明はというとほとんど空っぽである。全く挿図のレビューである。そのうちの一つだけにして他は割愛して、その代りその一つをもう少し詳しく分かるように説明した方が本当の「物理」を教えるためには有効でありそうに思われる。それからまた、近頃の教科書には本文とは大した関係のない併《しか》し見た眼に綺麗なような色々の図版を入れることが流行《はや》るようである。これも一体「物理」とどんな関係があるのか少なくも本文をよ
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