一景は、実は子供だましのようなものであった。舞台の奥から機関車のヘッドライトが突進して来るように見えるのは、ただ光力をだんだんに強くし、ランプの前の絞りを開いて行くだけでそういう錯覚を起こさせるのではないかと思われた。
しかし、ともかくも見ただけの甲斐はあった。友人の哲学者N君に逢ったとき、「哲学者はこういうものを一見すべきだろう」と云って見学をすすめておいたが、その後の端書《はがき》によるとやはり見に行ったそうである。それ以来逢わぬからまだこの人のレビュー観を詳《つまび》らかにすることが出来ない。
数日たった後に帝劇で映画の間奏として出演しているウィンナ舞踊団を見た。アメリカのと比べてどこか「理論」の匂いがある。それだけにやはり充実した理窟なしの活力といったようなものが足りなくて淋しい。見物は義理からの拍手を送るのに骨を折っているように見え、踊り子が御挨拶の愛嬌をこぼして引込む後姿のまだ消え切らぬ先に拍手の音の消えて行くのが妙に気の毒であった。
これらと比較のために宝塚少女歌劇というものも一度見学したいと思っていた。早慶戦のあった金曜日の夕方例によって友人と新宿の某食堂で逢って連句をやろうと思っていると、○大学の学生が大勢押しかけて来て、ビールを飲んで卓を叩いて校歌を唄い出した。喧騒の声が地下室に充ちて向き合っての話声も聞取れなくなった。「一体勝って騒いでいるだろうか負けて騒いでいるだろうか」と云ったら友人は「負けたらしいね」と答えた。これも当代世相レビューの一景と思えば面白くもあったが、天下の早慶戦の日に落着いて連句などを作ろうとするものの不心得を自覚したので、ふと思い付いて二人で東宝劇場へ出かけることにした。
「れ・ろまねすく」「世界の花嫁」まで見て割愛《かつあい》して帰って来た。連句はとうとうお休みである。
アメリカレビューやウィンナ舞踊を見た眼で見た少女歌劇は実に綺麗で可愛らしいものではあったが、如何にもか弱く、かぼそく、桜の花と云うよりはむしろガラス製の人形でも見るような気のするものであった。老人や軍人の男装をした踊り子までがみんな女の子のきいきい声を出すので猶更そういう「毀《こわ》れやすい」感じを起こさせるようである。例えばヴァイオリンのE線だけによる協奏楽というものが、もしあったとしたら、丁度こんなものではないかという気がした。テンポにもアダ
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