いって見たが、見たものの記憶はもう雑然として大抵消えてしまっている。ツェペリン飛行船が舞台の真中に着陸する、その前でロココ時代の宮庭と現代の世界との混合したような夢幻の光景が渦を巻いたといったような気がするだけである。ジァンペートロというバリートンが当時異常な人気を呼んでいて、なんでもある貴族の未亡人から、自分の願いを容れてくれなければ自殺するという脅迫を受けて困っているというような噂が新聞で持《も》て囃《はや》されたが、しかしそれは単に宣伝のための空ごとだというゴシップもあった。どんな優男《やさおとこ》かと思っていたらそれが鬼将軍のような男性美の持主であったのである。例により夜会服姿の黒奴に扮《ふん》した舞踊などもあったが、西洋人ばかりの観客の中に交じった我々少数の有色人種日本人には、こうしたニグロの踊りは決して愉快なものではなかった。
パリの下宿はオペラの近くであって、自分の借りていた部屋の窓から首を出して右を見ると一、二町先の突きあたりにフォリー・ベルジェアの玄関が見えた。それほど近所に居ながらこれも這入《はい》ったのはただ一度だけであったし、見たものの記憶の薄れたことも同前である。名画をもじったタブロー・ヴィヴァンの中にダヴィドの「ルカミエー夫人」を模したのなどは美しかったが、シャバの「水浴の少女」をそっくりそのままベッドの前に立たせ、変なおやじが箒《ほうき》で腰をなぐろうとしている光景は甚だ珍妙ないかがわしいものであった。大切《おおぎ》りにナポレオンがその将士を招集して勲章を授ける式場の光景はさすがにレビューの名に恥じない美しいものであった。
ムーラン・ルージュはこれと同じようでも、どこかもう少し露骨で刺戟の強いものであった。完全に裸体で豊満な肉体をもった黒髪の女が腕を組んだまま腰を振り振り舞台の上手から下手へ一直線に脇目もふらず通り抜けるというものすごい一景もあった。
要するにレビューというものはただ雑然とした印象系列の偶然な連続としか思われなかった。ワグナーの歌劇やハウプトマン、ズーデルマンなどの芝居などに親しんでいた当時の自分にはレビューというものは結局ただエキゾチックな玩具箱を引っくり返したようなものに過ぎなかった。
そんな訳であったから、後にアメリカに渡ったときも、レビューなど人にすすめられても見る気はしなかったのである。それがめぐりめぐ
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