マーカス・ショーとレビュー式教育
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)鋪道《ほどう》を埋めて
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一人|宛《あて》平均三十秒
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](昭和九年六月『中央公論』)
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アメリカのレビュー団マーカス・ショーが日本劇場で開演して満都の人気を収集しているようであった。日曜日の開演時刻にこの劇場の前を通って見ると大変な人の群が場前の鋪道《ほどう》を埋めて車道まではみ出している。これだけの人数が一人一人これから切符を買って這入《はい》るのでは、全部が入場するまでに一体どのくらい時間が掛かるかちょっと見当がつかない。人ごとながら気になった。
後に待っている人のことなどはまるで考えないで、自分さえ切符を買ってしまえばそれでいいという紳士淑女達のことであるから、切符売子と色々押し問答をした上に、必ず大きな札《さつ》を出しておつりを勘定させる、その上に押し合いへし合いお互いに運動を妨害するから、どうしても一人|宛《あて》平均三十秒はかかるであろう。それで、待っている人数がざっと五百人と見て全部が入場するまでには二百五十分、すなわち、四時間以上かかる。これは大変である。
こんな目の子勘定をして紳士淑女の辛抱強いのに感心する一方では自分でこの仲間にはいろうという勇気を沮喪《そそう》させていた。
ある日曜日の朝顕著な不連続線が東京附近を通過していると見えて、生温かい狂風が軒を揺がし、大粒の雨が断続して物凄い天候であった。昼前に銀座まで出掛けたら諸所の店前の立看板などが吹き飛ばされ、傘を折られて困っている人も少なくなかった。日本劇場の前まで来て見ると、さすがに今日はいつもの日曜とちがって切符売場の前にはわずかに数人の人影が見えるだけであったので急に思い付いて入場した。
二階の窓から狂風に吹き飛ぶ雲を眺めながら考えるともなく二十年前に見たベルリンのメトロポール座のレビューを想い出していた。ウンテル・デン・リンデンの裏通りのベーレン街にあったこの劇場のレビューは、一つの出しものを半年も打ちつづけていて、それでいて切符は数日前までにみんな売切れになっていた。世界の都でなければあり得ない現象である。一年半の滞在中たった一度だけは
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