鴨と眇目の老人では心像の変形が少しひど過ぎるが、しかしこの偶然な一と朝の経験から推して考えてみるとフロイドの「夢判断」の学説も、そのことごとくが全くの故事付《こじつ》けではないかもしれないという気がして来るのである。

         十

 四、五月頃に新宿駅前から帝都座前までの片側の歩道にヨーヨーを売る老若男女の臨時商人が約二十人居た。それが、七月半ば頃にはもう全く一人も居なくなってしまった。そうしてその頃からマルキシストの転向が新聞紙上で続々として報道されている。後世の頭のいい史家でヨーヨーとマルクスの関係を論ずるものが出ないとも限らない。七月下旬に沓掛へ行ったときは時鳥《ほととぎす》が盛んに啼いたが、八月中旬に再び行ったときはもう時鳥を聴くことが出来なかった。すべては時の函数《かんすう》である。

         十一

 赤いカンナが色々咲いている。文字で書けば朱とか紅とかいうだけであるが、種類によってその赤い色がことごとくちがう。よく見ると花ばかりでなくそれぞれの葉の色も少しずつ違う。それが普通にはみんな赤いカンナと緑の葉で通るのである。人間の言葉の不完全なことがよく分
前へ 次へ
全10ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング