鴨と眇目の老人では心像の変形が少しひど過ぎるが、しかしこの偶然な一と朝の経験から推して考えてみるとフロイドの「夢判断」の学説も、そのことごとくが全くの故事付《こじつ》けではないかもしれないという気がして来るのである。
十
四、五月頃に新宿駅前から帝都座前までの片側の歩道にヨーヨーを売る老若男女の臨時商人が約二十人居た。それが、七月半ば頃にはもう全く一人も居なくなってしまった。そうしてその頃からマルキシストの転向が新聞紙上で続々として報道されている。後世の頭のいい史家でヨーヨーとマルクスの関係を論ずるものが出ないとも限らない。七月下旬に沓掛へ行ったときは時鳥《ほととぎす》が盛んに啼いたが、八月中旬に再び行ったときはもう時鳥を聴くことが出来なかった。すべては時の函数《かんすう》である。
十一
赤いカンナが色々咲いている。文字で書けば朱とか紅とかいうだけであるが、種類によってその赤い色がことごとくちがう。よく見ると花ばかりでなくそれぞれの葉の色も少しずつ違う。それが普通にはみんな赤いカンナと緑の葉で通るのである。人間の言葉の不完全なことがよく分かる。こんな不完全な言葉を使った「論理」などは当てになるはずがない。煽動者の利器とする詭弁《きべん》の手品の種はここから出て来るのである。
十二
一と頃、学生の観客の多い映画館で、ニュース映画の中にたまたまソビエトの赤旗の行列などがスクリーンに現われると、観客席の暗闇から盛んな拍手が起るのであった。ことによると、自分の中にもどこかに隠れているらしい日本人固有の一番みじめな弱点を曝露されるような気がして暗闇の中に慚愧《ざんき》と羞恥《しゅうち》の冷汗を流した。
十三
健康な人には病気になる心配があるが、病人には恢復するという楽しみがある。瀕死を自覚した病人が万一なおったらという楽しみほど深刻な強烈な楽しみがこの世にまたとあろうとは思われない。古来数知れぬ刑死者の中にもおそらくは万一の助命の急使を夢想してこの激烈な楽しみの一瞬間を味わった人が少なくないであろう。
十四
日本人の名前をローマ字で書くのにいろいろの流儀がある。しかしまだ誰も Toyo Tomi Hide Yosi という風に書く人はないようである。しかし、
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