KからQまで
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)巌丈《がんじょう》な鉄棒

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)発生する毒|瓦斯《ガス》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)変態仮名の※[#変体仮名く、181−5]の字

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Tyo^ So Ga Be Ta Ro^ Za E Mon〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
−−

         一

 電車停留場のプラットフォームに「安全地帯」と書いた建札が立っている。巌丈《がんじょう》な鉄棒の頂上に鉄の円盤を固定したもので、人の手の力くらいでは容易に曲げ動かすことが出来ないように出来ている。それが、どうしたのかひどく折れ曲って変態仮名の※[#変体仮名く、181−5]の字のようになっているのがある。トラックでも衝突したかと思われる。鉄棒がこんな目に遭うくらいだから人間にとってはあまり安全な地帯でないのである。従ってこの曲った標柱は天然自然の滑稽であり皮肉である。これをそっくり写真に取れば、立派な、高級な漫画になるであろう。しかし安全も危険も実は相対的の言葉である。安全地帯の危険率も、危険地帯の安全率もゼロではない。

         二

 ある会社のある工場に新たに就職した若い男が、就職後間もなく誰かから自分の前任者が二人まで夭死《ようし》をしたこと、その原因がその工場で発生する毒|瓦斯《ガス》のためらしいという話を聞き込んで、ひどく驚きおびえて、少し神経衰弱のような状態になっていると聞いた。しかし前任者が果して瓦斯中毒で死んだかどうかも確実には分からないようである。一体どんな職業でも、丁度自分の前任者が引続いて二人死んだという場合を捜せばいくらも例があるかもしれない。また、前任者がみんな健康でぴちぴちしている、その後を受けた自分が明日死ぬかもしれない。また一方、毒瓦斯の出ない工場にはまた色々別の危険が潜伏していて、そうして密《ひそ》かに犠牲者の油断のすきを狙って爪を研《と》いでいるであろう。それで、用
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