出された遺骸の胸に手のひらをあてて Noch warm ! と言って一同をふり向いたとき、領事といっしょにここまでついて来ていた婦人の一人の口からかすかなしかし非常に驚いたような嘆声がもれた。O教授はしかし「これはよくあるポストモルテムの現象ですよ」と言い捨てて、平気でそろそろ手術に取りかかった。
葬式は一番町《いちばんちょう》のある教会で行なわれた。梅雨晴《つゆば》れのから風の強い日であって、番町へんいったいの木立ちの青葉が悩ましく揺れ騒いで白い葉裏をかえしていたのを覚えている。自分は教会の門前で柩車《きゅうしゃ》を出迎えた後霊柩に付き添って故人の勲章を捧持《ほうじ》するという役目を言いつかった。黒天鵞絨《くろびろうど》のクションのまん中に美しい小さな勲章をのせたのをひもで肩からつり下げそれを胸の前に両手でささげながら白日の下を門から会堂までわずかな距離を歩いた。冬向きにこしらえた一ちょうらのフロックがひどく暑苦しく思われたことを思い出すことができる。
会堂内で葬式のプログラムの進行中に、突然堂の一隅《いちぐう》から鋭いソプラノの独唱の声が飛び出したので、こういう儀式に立ち会った
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